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あなたと

 つまり、終わってしまった、感情です。


 2017年3月というのは、なんというか、私的重大事件が多すぎて、未だに戸惑っています。その具体的な内容については、述べたところで誰も得をしないだろうし、更に、私にとってそれらの経験を文章化することが如何に虚しいことなのかを十分自覚しているつもりなので、伏せることにします。とにかく、それらの事件(事実)に私はひどく振り回され、いたく傷付いたのは紛れもない事実です。私が傷付いた、その感情をTwitterにおいて吐露した(してしまった)ところ、多くのフォロワーから苦情のDMが来て、私はまた傷付きました*1。誰も分かってくれないか…と。


 2017年3月。きっとこの月は私がこれから生きていくなかで忘れることの出来ないものになるでしょう。述べておかねばならないのは、その事件というのが総じてネガティブな気分にさせるのだということです。少なくとも私がなにひとつ上手くやれたことはなかったし、率直に言えば失敗続きでした。はっきり言って、(言葉通りの意味での)自殺は数度頭をかすめました。しかし、「強盗すれば大学を辞められると思った」との名言*2を残した新大学生や、飛び込み自殺を図ったところ電車の窓に突き刺さり死を免れた男性を知るうちに、彼らの意図的かどうかさえ分からないユーモアに影響を受け、近頃は‐単調な自殺はユーモア・ゼロだな‐と思うようになりました。なので、死ぬときはアクロバティックかつユーモラスでありたいけれど、そのような死に方を模索しているうちに単調に死んでしまうんだろうな、との思いもあります。


 実は一昨日の夕方、悪夢を見ました。私はひとりきりで廊下を歩いていて、おそらくそれは母校の高校の廊下ですが、その姿を後輩に目撃されてしまう。彼は私とあまり仲の良くない後輩でした。早い話、彼は私の嫌悪の対象でした。その彼が、私のそんな姿を嘲笑します。私は羞恥心から走り出しました。前には部活の同級生が二人。追い付きました。その二人というのは、AとBとしますが、前者は現役で東大へ進学した奴で、後者は潔く浪人を決めた奴でした。私は彼らに話しかけました。いつものように…でも、彼らは私の話に耳を貸してはくれませんでした。私はひとりきりでした。
 そう、私は浪人する勇気を持てず、妥協に妥協を重ねて取り敢えず大学へ進学することになった、なにものにもなれなかった中途半端者です。もう、彼らとは違うんだ…。そういえば、彼らは二人とも中学一年生の時のクラスメイトでした。あれから6年が過ぎ去って、色々なことがあったけれど、私は彼らに精神の面で大きく遅れをとってしまいました。もしかしたら周回遅れかもしれません…


 かつて祖父母たちから「キラキラしてる目をしてるね」と度々誉められたことを近頃はよく思い出します。それが純粋や無邪気の象徴だったんだろうけれど、今ではその輝きは失われ、手入れを放置された水槽のように濁った眼差し*3。それは、なにもデリケートな汚さを暴露し続ける世界への失望ではなく、日々最小値を更新し限りなくゼロに接近する自己肯定感から来るものです。


 AやBがこれからどのような生き方をしていくのか、私には皆目見当がつかないし、私も自身のことで精一杯です。
 そういえば、この間、部活の同級生たちと顔を合わせる機会がありました。彼らの進路は様々で、大学に進学したり浪人したり。私は前者ですが、前述した精神状態のために進学を祝福されても複雑な気分になるばかりでした。大学進学がいつでも正しいわけではないのです。でも、仕方がなかった。浪人する勇気はなかった…私は目の前に立つ#春から浪人 たちに対していったいどんな話をしたらいいのか、分かりませんでした。彼らがどんな精神状態でいて、まぁプラスでないのは分かっていますが、彼らが私たち(特に妥協した私)にどんな感情を抱いているのか。でも、表面上は彼らは立ち直っているように見えました。というのは、彼らから発される「駿台」「河合塾」「東大」といった言葉。‐なんだ、もはや浪人は自虐ネタなのか…‐そう、思いました。以前より自虐に精を出していた私にとってその空間はどこか懐かしい雰囲気、端的にいって思った以上に居心地がよかったのです。でも、実際のところそんなことはなかったのです。のちに彼らが実際の感情を吐露する場を目撃してしまい、私はまた過酷な現実に戻されざるを得なかったのです。大学受験を経験した者には三種類がある。大学進学する者、社会進出する者、浪人する者。この三者が分かり合えることなど、やはりないのです。あの、6年間一緒にやってきた部活の同級生12人は、いまとなっては、もう、完全に、バラバラなのです。だから、みなさん、さようなら。

*1:嘘です。因みに例のNHK記者の性的暴行容疑者が今月2日に逮捕されて以来、NHKには全国から約1500件の抗議の電話やメールが寄せられているらしい

*2:マジで名言

*3:因みに、このところ右目がものもらいで腫れており、つまり最悪です

建造された大統領と大晦日に死んだ猫

 男が懐古するのは50%の確率で冬、それはたとえば迷路的なシンセサイザー、たとえばアルコールを含んだティッシュー。スマートフォンの画面上に魚眼レンズの裏。スニーカーは忘れた頃に履き慣れたようになって迫る人々。斜陽に照らされた団地、子供らの声は普遍的道徳で、その時我々の目に映るものは突然の雨、或いは疑問符を纏う蜘蛛。(音響が不完全だとその限りではない)


 女が悲鳴をあげるのは20%の確率で男、それはたとえばダダ的な加速するTwitter、たとえば北極の最南端で実施される大統領選挙。唯一的な灯の例外的失速に人々の温暖、適当な柔らかさに収束していく我々の枕と角膜。管弦楽の性的犯罪を咎めるプラスティック手帖。政治的圧力は三度、いや四度その対象を変化させる。大空の罪状はその圧倒的な青さと人々に対する自殺幇助。


 一定のリズムを刻む時計的な野原ひろし。その悲しみと寂しさは誰にも理解されず、ただ一定のリズムを刻み、時々音を鳴らす。誘惑は的を外れ、一般的な彼女の拒否と罵倒。報復の正当化と揶揄の誇張が身に迫ると終わってしまう彼。ナンセンスな画像とユーモラスな音声とが性的交渉、生まれるムードは完全な神秘だが、やはり誰にも理解されず、両者は相次いで自殺。不適切な死に方故に放送されない。焦燥の暴露を許可する未成年の飲食は常にグロテスクな映像、その明瞭さで救出される老夫婦の感謝は不適切だ。


 自由の隠喩を探索する考古学者を嘲笑する猫は幸福の隠喩。国粋主義の膝はいつしか紅潮し雪崩のような月桂冠は獲得できない。任期を満了した大統領は誰にも理解されず、自殺。素直な青年は花を添えるが、それは自殺した大統領に向けたものではない。ふしだらなスピーカーが発声練習を誘惑し、たちまち終結する論争。新たに開始された論争は誰にも理解されず、自殺。


 午後三時頃といえば不確実な返信と純粋な愛情に発狂する少年、そして彼を描いたかつて高名だった画家はもはや名前を忘れ去られている。ウズベキスタンの砂漠では今日も一人のチベット仏教徒がその足を前へ進めているが、誰も彼のことなど知らない。憂鬱のためにベランダの斜面からハイジャンプした青年のことなど、その家族しか覚えていないのだが。


 十分な白濁液を燃料に出発した蒸気機関車、ともすれば存在を認知されていないニホンザル。華奢な体格と憧憬の対象はいつでも同時に語られる。マウスピースの細さを笑うと側面の口唇が凌辱の限りを尽くすカモノハシ。乱雑なイメージが印象を操作したとされて印象を操作される。巨大な口を空腹の蚊に費やすと疾風の勢いで飛びつくミーアキャット。


 空調に問題点を見出だす天才児は周囲の空気だ。ブルーレイディスクを取り出す手つきはサディスティックな音声と合致しながら回転している。たとえ留守番中の女児が悲しみに肩を前後させ三木武夫の六週連続記念番組を眺めていても。肋骨を複雑骨折した大学の食堂はその明るすぎる程の明るさで我々を照らしながら涙を誘うのに必死だがそれはやはり無駄だった。


 エーゲ海に浮かぶ部分的な太陽と虚偽の申請書が誰も見たことのないような輝きを放っているが、それはただ単に炎上しているに過ぎない。素敵な音楽がラッシュアワーの象、蜂、蟻を興奮させるように。典型的な勘違いがおそらくは恐怖に姿を変え不安を駆り立てるのだが。そうして人々は姿を消していくが、感情のない人々はその光景の中で嗚咽と溜め息の区別もつかない。


 彼女の主義は常にアンチだが、恋人は体制迎合カモノハシだ。時々は森友学園を罵倒するアルマジロ。不倫の色は赤、黄、紫であり続けた江戸時代が我々に謳うことは誰がためのヘミングウェイ。孤独な楊貴妃の性的魅力が終結の鐘を誘惑していたあの頃。永遠の美貌と永久の消費税を引きちぎる素振りを見せるのはずっと後になってからだ。


 受容されるアマガエルと受容されないアマガエル。習得された悪魔的視点が不適切故に崩壊する時。あらゆる全体が一部の多量な薬品を小沢健二的世界における殺人に使用すれば。軽快な転調と純粋なニ長調では殺人は実行できません。多摩地区の夕立は自然淘汰の残酷を背景としたクラシックオレンジ。熱海市の大海原は学園の不幸と退屈なR&Bが混在するモダンブルー。その対称で終わっていく人々の自殺は地球温暖化に貢献する。


 涙腺の緩やかさにまたしても涙を流し遠隔操作されるオーボエ(バスーン)。山道の熊と三度に渡る接吻の後、四時間に渡る空気の瞬きを目撃すると崩壊するコンドミニアムを目撃した。単純なエクストラサンセットで腰を砕かれる頃、森林では悲劇のような喜劇が上演されていて豊洲問題に終止符が打たれかけている。レインボーブリッジの夜は近視眼の苦悶と同値だが。


 肋骨の不確かさに導出される答案に採点官は唖然とし、自殺志願者の群衆は本当に最後の呻き声を上げる頃。臓器提供が哀願のメディアであったかのように悲鳴は憎悪に苦悶した表情を。展開はハードなサイクルに終始し、録音された兄弟の30年前はナンセンスなチャールズ・チャップリン。葬儀場で結婚式を挙げたかった新郎新婦の思いはやはり誰にも理解されず、二人は相次いで、自殺。


 かつて怪物だった二足歩行の獣が今では朝から町を徘徊している。


 

畏怖

 皆さん、如何お過ごしでしょうか。同級生の方々は新たな進路が決定し未来への期待感に胸を膨らませたり、来年の受験に向けて気持ちを入れ替えているのではないでしょうか。終わってしまった一つの時代。卒業。思えば、私が通っていた中学・高校に入学した6年前から個人的に変化した部分は数多くあります。人付き合いや話し方なんかは大きく変わってしまいました。
 

 そんな中でも幼い頃からずっと変わらないものがあります。それは恐怖。鉄塔への恐怖です。 
 私が1歳の頃から住んでいる町は東京の郊外です。故に都会では恐らく存在し得ない、鉄塔が立ち並ぶ景色を私は見続けてきました。幼児にとってあのあまりにも巨大な構造物は実物以上にhugeだったに違いありません。鉄塔の真下へ行けば、その想像を絶する巨大さ、そして「触れるな危険」との赤字の警告。恐怖を抱かない筈がありません。しかし前述の通り、私の町には鉄塔が立ち並ぶ。故に仲の良い友人の家が鉄塔の麓(敢えてこのような表現にします)に位置していることも珍しくはありませんでした。そもそも小学生時代の友人など少ないのですが*1。その中でも最も仲の良かった友人、仮に彼の名前をAとでもしておきましょうか、の家は鉄塔のまさに麓でした。私は彼の家にお邪魔する度、あの忌々しい鉄塔に接近し怯えねばならなかったのです。


 あの日、勿論正確な日時など記憶していないのですが、私はAの家にお邪魔していました。両親の方針のためにゲーム機を買い与えられなかった私は、彼の家で一緒にゲームする時間に最高の幸福を感じていました。ただ、その日はあまりにも熱中し過ぎたようです。ふと気付いた頃には時刻は19時を大幅に過ぎていて、辺りは本当に真っ暗でした。そんな時間まで彼の家に長居することは初めてで、Aの母親は私に早く帰るよう言い渡しました。私は何の抵抗も見せず素直に「お邪魔しました」と告げ、素直にお辞儀し、素直にA家の門を閉じ、素直に自宅の方向へ歩を進めました。
 しかし、私は何となく湧き出た焦りのために肝心なことを忘れていたのです。そう、鉄塔。あれを通り過ぎなくてはならない。それに気付いた瞬間、私は歩みを止めざるを得ませんでした。‐いま、じぶんはどこにいるのか‐私は頭上の暗すぎる程暗い夜空を眺めてみました。すると、なにか細いような太いような線が一本あるいは数本。はじめはなんだかよく分からなかった。だけど、すぐに分かった。‐これは電線だ!‐暗い夜空を背景としては当時の私には分かりづらかったのですが、鉄塔から延びる何本もの電線が私の頭上にあり、それらが丁度重なって見えていたのです。そうして何となく細いような太いような不気味な線が。無意識のうちに私は鉄塔に目をやっていました。暗闇にずっしりと佇む尊大な構造物。私はあまりの恐怖に、目を伏せて走り出しました。目的地は勿論自宅だけれどそこへ向かっているのかは確実には分からないのだが。車に轢かれる可能性だってあるのだが。私は兎に角走りました。やがて自宅に辿り着き、ことなきを得ました。‐あの鉄塔はバケモノだ!‐そう、私は確信しました。


 また、こんなこともありました。前述の体験と同様、小学校低学年の頃だったと思います。自宅付近で工事がありました。鉄塔を建てていたのです。私は「どうしてまたあんなものを…」と思ったに違いありませんが、父親は興味津々。結局、私はそんな父親に連れられて工事現場まで向かうことになりました。騒々しい現場では父親が「いつ頃完成するのか」、「どれだけの人員が動員されているのか」といったことを尋ねており、小さな私はただただそれを耳に入れていました。やはり鉄塔は怖かった。しかし、目の前のそれは完全でない。不完全なんだと思うと、なんだか可笑しくなってきました。こんなものに脅かされている自分。約10年前に建設途中だったその鉄塔は勿論、現在健在です。


 時々思うのです、鉄塔に対する恐怖というのはただの恐れではなく、実は畏怖だったのではないのかと。なにも鉄塔の役割や姿形を尊敬しているのだと言いたいわけではありません。いや、後者に関しては部分的に正しいのかもしれません。鉄塔はあまりにも巨大すぎたのです。そして完全すぎた。
 イメージは「強い」といいます。文字や音声よりも視覚的なイメージは心に残りやすく、トラウマになりやすいそうです。特に幼児にとっては。右も左も分からず、一体何が正しくて誤りなのかも分からないちっぽけな幼児‐私‐にとって、あの巨大かつ完全すぎる鉄塔は取り敢えず正しく思えたのではないのでしょうか。言葉に表せないような不気味さを備えていながら。私は成人手前のこの年齢になって、ようやくそう思うようになりました。勿論これが正しいかどうかは分かりませんし、そもそもそれを判定する方法さえ見つかりませんが、ただ一つ、鉄塔に対する恐怖が私の心の中でそれ程に生き続け、離れなかったのだという事実は確かなようです。


 今、引っ越しを終え、新しい町に住んで気付いたことがあります。鉄塔が殆ど存在しないのです。あの恐怖の対象は姿を消しました。ですが、どういうわけか淋しいのです。これは、自分でも本当によく分からないのですが、なんだか淋しいのです。先日、訳あって以前住んでいた町へ赴いたのですが、あの鉄塔ばかりの風景に‐やはりこれだ‐という気持ちでした。怖いのは確かでも、あれは私には必要なモノだったのでしょうか。愛おしさ?それは郷愁に付随して?本当によく分かりません。


 下らない思い出話ですが、私の鉄塔に対する恐怖は畏怖だったのではないか、という話でした。

*1:実際に数えてみたところ友人は5人以上10人以下といったところです。因みに現在でも連絡を取り合っている友人は皆無です

卒業

 一昨日、無事高校を卒業することができました。思えば、高校時代とは長かったような短かったような不思議な時代でした。5度目にして最後の文化祭はもう2年前。沖縄への修学旅行も2年前。スポーツ大会で出場したドッジボールで優勝したのも2年前。山の家で富士山を登ったのは3年前(あれ、3年前の記憶が全然ない…)。私は結局学校やクラスメイトと距離をとるようになってしまいましたが、これらは素直に良い思い出です。


 どこでおかしくなってしまったのでしょうか。やはり受験期でしょう。振るわない自身の成績。これは確実に私を陰鬱な気分にしました。そのような気分で毎日通う学校はいつしか嫌悪の対象と化していました。これには、自身の集団を苦手とする性分と、そのために元々私が学校で上手くやっていけていなかったという事実が背景として存在します。比較的仲の良かったクラスメイト達とも距離をとるようになりました。というのは、彼らの口から発される「お前、こないだの模試どうだった?」といった言葉はそのうち私の心を傷つけるようになっていたのです。私の行為はこの上なく自己中心的なものです。だから、悪いことをしているのだという自覚は当時から自身の内に存在しました。しかし、そうでもしなければ私は潰れていたでしょう。当時、私は自虐コミュニティに属していなかったのです*1


 卒業。実感は湧きませんが、特に感慨もありません。長すぎる卒業式にコックリしている同級生を目撃する度に「こいつら、後で『つまんなすぎて寝てたわ~w』とかネタにするんだろうな」と心の中で毒を吐いていたら式は終わっていました*2
 式が終わった後、恒例のクラス打ち上げがありました。私は欠席しました。早くこのコミュニティから解放してくれ!と思っていたのです。後で、比較的仲の良かったクラスメイトから話を聞きました。その打ち上げ、私以外のクラスメイト全員が参加したみたいです。なにもそんなつもりではなかったので、少し悪いことしちゃったなぁ…なんて思いながら帰路につきました*3


 私は受験に成功した同級生達に囲まれながら卒業式の日を過ごすことになってしまいました。合格発表日から一週間以上が経過し、不合格の悲しみも薄らぎ、徐々に開き直りかけていた私ですが、そのような環境に置かれると、自分の中にわずかに存在していた卑屈の精神が次第に存在感を強めてきました。そんな自分の姿を自覚する度、私は深い自己嫌悪に陥るのでした。
 私が入学以来、周囲の同級生達に対し抱き続けた感情、すなわち嫉妬を、私は遂に卒業の瞬間までも飼い慣らすことは出来なかったのです。


 もう過去のことを気にしてばかりではいられないでしょう。大学の合格発表、入学手続はすぐそこまで迫っています*4。確かに未来はそう明るくないですが、とにかく新しい時代が始まります。学業以外の面でも3月10日以来、様々な進展がありました。ここのところは、しあわせになることを至上命題として生きているのですが、そのためには失ってしまったものとそれによる悲しみは忘れてしまうのが最適解であるみたいです*5。しあわせになるために捨ててしまったコミュニティは私のことを笑っているかもしれませんが、そんなことももう気にしていられないのです。忘れるべきコミュニティなのかもしれません。新しい時代です。

 

*1:そもそも私の学年には自慢コミュニティはあっても自虐コミュニティは今でも存在しないという認識です

*2:なにもモラリズム的観点から述べているわけではありませんが

*3:因みに帰り道は一人きりでした

*4:合格している前提で話を進めていますが、その点についてツッコむことは筆者が許しません

*5:しあわせって何だろう?

終わっていく 終わっていく

 今日の正午、大学の合格発表がありました。合格発表とは結果が合格、不合格の二つしか存在し得ず、それ故に全ての受験者は歓喜と落胆のいづれかの方向に進むことになります。残酷な瞬間です。


 さて、私も一人の受験者なので結果を確認するため大学の公式サイトへ飛びました。どういうわけか胸の鼓動が早くなり、結果のリンクを押すに押せない。仕方ないので他の科類の発表結果を眺めることにしました。整然と並ぶ受験番号。どこか機械的で私の不安は一層の恐怖に姿を変えてしまいました。しかし、どうしようもないので意を決して自分の結果を確認することにしました。


 あっけなく終わってしまった緊張の瞬間は、一体どのように記憶されていくのでしょうか。高校生活のほぼ最後に位置付けられた合格発表は高校生活、いや中高一貫校でしたから中高6年間の集大成と考えられるのかもしれません。これは挫折かもしれません。事実とは一生覆されることなく抱えていかなくてはならないものでしょうから、その捉え方に何らかの工夫を施さなければ私は終わってしまいます。ということなので、さしあたり不合格という事実は自虐ネタの一つに加わったとでも考えておくことにします。


 どうやら部活の同級生の多くは合格を手にしたようです*1。思い返せば受験直前期、ネット上で彼らのツイートや発言を見かけた記憶が殆どありません。何故このようなことを言っているかというと、私が彼らとはその点で真逆に位置していたことを示すために他なりません。誰も、自分自身でさえも、私を擁護することは出来ないでしょう。このように私の世界は終わっていったのです。


 正月には父方、母方双方の墓参りをする、というのが我が家の伝統です。そこで私は当然のごとく「合格出来ますように」というありふれたお願いをしたのですが、どうも効果はなかったようです。しかし、効果を期待するような段階にも入っていなかった、というのがより正確なのかもしれません。


 私は長らく合格報告ツイートには否定的な立場を取ってきましたし、現在Twitter上に溢れるそのようなツイートに反応をしていません。とはいえ、それは私に深く関係することです。そのようなツイートを目撃する度に、「彼らは合格し私は合格しなかった」という事実が電光石火のごとく自覚されてしまう。もう私は学歴コンプレックスを発症していました*2
 

 家族は結果を知ると慰めてくれました。私は恐らく限りなく無表情に近い笑顔を作って「まぁ前から予想できたことだし、そんなに気にしてないよ」と言いました。そんな無様な私を、受験票に貼り付けられた私自身の写真は真っ直ぐに見つめていました。


 


 

*1:おめでとうございます

*2:但し、元々内面化されていました

絶望でないもの、おそらくは希望

 ここのところの無限の暇はあまりにも儚く、この期間が合格発表までの猶予期間であることを忘れてしまいがちです。とはいえ、この期間の殆どは大した緊張感を抱かずに過ごすことができました。その理由を一緒に考えていきましょう。

1.試験の出来が悪かった

 これは最大の理由の一つです。試験は国語、数学、地歴、英語の順で行われたのですが、私は一科目目、つまり国語で恐らく失敗しました*1。さらに日本史でも失敗し世界史でも失敗し英語でも失敗しました*2。すなわち私の見込みではE判定が覆ることはなさそうです。

2.合否に興味を失うようになった

 そもそも試験直前にはやる気を失っていたのですが、上記のような手応えからするともはや合否は問うまでもないでしょう。これについてあまり述べ過ぎると「不合格の場合に備えて予防線を張っている」感じが高まるのでこの辺にしておきます*3
 

3.合格発表よりも重大な予定が入った

 これは事実です。とても重要だったのでこちらに気を取られていました。

4.新たな趣味に自殺が加わった

 試験終了後からこれまでに既にもう2回自殺しているのですが、とても気持ちいいのでオススメです。

5.試験直前に米大統領にD.トランプ氏が就任

 我が国の同盟国である米国のトップが交替するというニュースは2017(2016)年のトップニュースの一つであると言い切って差し支えないでしょう。
 

6.ノーナ・リーブスが3月にベストアルバムをリリースすることを発表

 vo.西寺郷太を中心とする3人組人気ポップスバンドであるノーナ・リーブスは3月8日にニューアルバム『POP'N SOUL 20~The Very Best of NONA REEVES』をリリースすることを発表しました。同アルバムには新曲『O‐V‐E‐R‐H‐E‐A‐T』のみならず『ENJOYEE!(YOUR LIFETIME)』の新録も収録されています。是非聴いてみてください。

 以上が理由となりますが、そうは言いながらもなんだか緊張してきてしまいました。これはもう受験生の性(サガ)でしょう。模試結果の返却日のような気分です*4
 私の一つの住処であるTwitterではここのところ同級生たちの合格報告ツイートが氾濫し、明日を待つ私の精神を削いでいくのですが、Twitterラテン語で「死」を意味することから分かるようにTwitterとは死の集合です*5。彼らの自慢に溢れるそれらのツイートはナルシスト・ゾンビであり、実のところ気にかけるに値しません。ですから私は既に死んでいますがそのような存在に成り下がりたくはないので、たとえ合格していようと合格報告ツイートをするつもりはありません*6
 
 最後は愚痴みたくなりましたが、とりあえず約14時間後の合格発表に向けて祈ることにします。

 

*1:その訳は古文で出題された源氏物語と現代文の所謂随筆的な文章の双方が全然理解できなかったことです

*2:あまりの酷さに英語終了後に思わずちょっと笑ってしまいました

*3:但しその主張が正しいことは火を見るよりも明らかです

*4:因みに試験当日も模試感覚でした

*5:これこそが「#はじめてのツイート は自殺宣言」と言われる所以です

*6:不合格の場合ですが、不合格報告ツイートをする暇などあったら、もっと気持ちいい自殺をします

しあわせです。

引っ越したのは2日前だった。新しい街は人通りが少ない。先程は隣駅の中古屋で買った本達を抱えて一人歩いた帰り道。そして新しい街は人通りが少ない。レズビアンのようなあたたかさを保存した公園の橙の灯りに包み込まれたが気分は上がらなかった。詩人的な始まりを模索していたら危うく木にぶつかるところだった。自分の歩く歩道橋はやがて高速道路と重なりあって恒星のような明るさを放つ。どこへ向かっているのか分からないが、多分渋谷だろう。


2月26日、東京大学の二次試験が終わった帰り、私は知り合いと共に渋谷にいた。その時、私には解放感が強かったが、私自身の怠惰による不甲斐なさは確かにその存在感を私に訴えていた。渋谷の交差点。広いなア。そこで非人間的な灯りと人間的な私の精神とがそっと触れあい、その瞬間に人々の動きは静止したように思えた。あっ、世界はこうやって終わっていくんだナ。でもノイズは残ったので、やはり、私は、汚れた。そして動き出した人々はいる。知り合いもいる。私もいる。私も要る?(―要らない)アッ、そっか。


世界的なシュールが君たちを襲う。(―早く逃げないと!)でも安心してほしい。シュールは君を内側から変えはしないだろう。君たちはオと言われたらオと返せばいいだけだし、oと言われたらoと返せばいいだけだし、おと言われたらおと返せばいいだけだし。表面的なことにすぎない。昨年死んだトキワ君の大ファンがオと泣いていたんですが、私はやはりオと慰めてあげました。私たちはしあわせです。君たちはしあわせです。


細い腕を丹念に洗ったら湯船に浸かりましょう。明日のあなたのために。


存在が消えてしまうと、それは死ですか。


さようなら