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終わっていく 終わっていく

 今日の正午、大学の合格発表がありました。合格発表とは結果が合格、不合格の二つしか存在し得ず、それ故に全ての受験者は歓喜と落胆のいづれかの方向に進むことになります。残酷な瞬間です。


 さて、私も一人の受験者なので結果を確認するため大学の公式サイトへ飛びました。どういうわけか胸の鼓動が早くなり、結果のリンクを押すに押せない。仕方ないので他の科類の発表結果を眺めることにしました。整然と並ぶ受験番号。どこか機械的で私の不安は一層の恐怖に姿を変えてしまいました。しかし、どうしようもないので意を決して自分の結果を確認することにしました。


 あっけなく終わってしまった緊張の瞬間は、一体どのように記憶されていくのでしょうか。高校生活のほぼ最後に位置付けられた合格発表は高校生活、いや中高一貫校でしたから中高6年間の集大成と考えられるのかもしれません。これは挫折かもしれません。事実とは一生覆されることなく抱えていかなくてはならないものでしょうから、その捉え方に何らかの工夫を施さなければ私は終わってしまいます。ということなので、さしあたり不合格という事実は自虐ネタの一つに加わったとでも考えておくことにします。


 どうやら部活の同級生の多くは合格を手にしたようです*1。思い返せば受験直前期、ネット上で彼らのツイートや発言を見かけた記憶が殆どありません。何故このようなことを言っているかというと、私が彼らとはその点で真逆に位置していたことを示すために他なりません。誰も、自分自身でさえも、私を擁護することは出来ないでしょう。このように私の世界は終わっていったのです。


 正月には父方、母方双方の墓参りをする、というのが我が家の伝統です。そこで私は当然のごとく「合格出来ますように」というありふれたお願いをしたのですが、どうも効果はなかったようです。しかし、効果を期待するような段階にも入っていなかった、というのがより正確なのかもしれません。


 私は長らく合格報告ツイートには否定的な立場を取ってきましたし、現在Twitter上に溢れるそのようなツイートに反応をしていません。とはいえ、それは私に深く関係することです。そのようなツイートを目撃する度に、「彼らは合格し私は合格しなかった」という事実が電光石火のごとく自覚されてしまう。もう私は学歴コンプレックスを発症していました*2
 

 家族は結果を知ると慰めてくれました。私は恐らく限りなく無表情に近い笑顔を作って「まぁ前から予想できたことだし、そんなに気にしてないよ」と言いました。そんな無様な私を、受験票に貼り付けられた私自身の写真は真っ直ぐに見つめていました。


 


 

*1:おめでとうございます

*2:但し、元々内面化されていました