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卒業

 一昨日、無事高校を卒業することができました。思えば、高校時代とは長かったような短かったような不思議な時代でした。5度目にして最後の文化祭はもう2年前。沖縄への修学旅行も2年前。スポーツ大会で出場したドッジボールで優勝したのも2年前。山の家で富士山を登ったのは3年前(あれ、3年前の記憶が全然ない…)。私は結局学校やクラスメイトと距離をとるようになってしまいましたが、これらは素直に良い思い出です。


 どこでおかしくなってしまったのでしょうか。やはり受験期でしょう。振るわない自身の成績。これは確実に私を陰鬱な気分にしました。そのような気分で毎日通う学校はいつしか嫌悪の対象と化していました。これには、自身の集団を苦手とする性分と、そのために元々私が学校で上手くやっていけていなかったという事実が背景として存在します。比較的仲の良かったクラスメイト達とも距離をとるようになりました。というのは、彼らの口から発される「お前、こないだの模試どうだった?」といった言葉はそのうち私の心を傷つけるようになっていたのです。私の行為はこの上なく自己中心的なものです。だから、悪いことをしているのだという自覚は当時から自身の内に存在しました。しかし、そうでもしなければ私は潰れていたでしょう。当時、私は自虐コミュニティに属していなかったのです*1


 卒業。実感は湧きませんが、特に感慨もありません。長すぎる卒業式にコックリしている同級生を目撃する度に「こいつら、後で『つまんなすぎて寝てたわ~w』とかネタにするんだろうな」と心の中で毒を吐いていたら式は終わっていました*2
 式が終わった後、恒例のクラス打ち上げがありました。私は欠席しました。早くこのコミュニティから解放してくれ!と思っていたのです。後で、比較的仲の良かったクラスメイトから話を聞きました。その打ち上げ、私以外のクラスメイト全員が参加したみたいです。なにもそんなつもりではなかったので、少し悪いことしちゃったなぁ…なんて思いながら帰路につきました*3


 私は受験に成功した同級生達に囲まれながら卒業式の日を過ごすことになってしまいました。合格発表日から一週間以上が経過し、不合格の悲しみも薄らぎ、徐々に開き直りかけていた私ですが、そのような環境に置かれると、自分の中にわずかに存在していた卑屈の精神が次第に存在感を強めてきました。そんな自分の姿を自覚する度、私は深い自己嫌悪に陥るのでした。
 私が入学以来、周囲の同級生達に対し抱き続けた感情、すなわち嫉妬を、私は遂に卒業の瞬間までも飼い慣らすことは出来なかったのです。


 もう過去のことを気にしてばかりではいられないでしょう。大学の合格発表、入学手続はすぐそこまで迫っています*4。確かに未来はそう明るくないですが、とにかく新しい時代が始まります。学業以外の面でも3月10日以来、様々な進展がありました。ここのところは、しあわせになることを至上命題として生きているのですが、そのためには失ってしまったものとそれによる悲しみは忘れてしまうのが最適解であるみたいです*5。しあわせになるために捨ててしまったコミュニティは私のことを笑っているかもしれませんが、そんなことももう気にしていられないのです。忘れるべきコミュニティなのかもしれません。新しい時代です。

 

*1:そもそも私の学年には自慢コミュニティはあっても自虐コミュニティは今でも存在しないという認識です

*2:なにもモラリズム的観点から述べているわけではありませんが

*3:因みに帰り道は一人きりでした

*4:合格している前提で話を進めていますが、その点についてツッコむことは筆者が許しません

*5:しあわせって何だろう?